GREETING
ジムの敷居は低く、内容レベルは高く。初心者も大歓迎。
上を見たら世界で通用するプロも在籍しているし、下を見るとMMAってなんですか?という超初心者までいます。まずは楽しめればいいんです。
楽しければある程度のレベルまではあっという間です。
ただ、プロになる場合は別で、しんどいこともあります。とりあえずはやってみたらいいと思います。
格闘技やったことありませんて人の方が変なクセがついてないから、意外と上達が早いってことも多いです。
どこで誰に習うかと、ジムの練習環境はかなり重要だと考えます。
柔術は練習したら誰でも強くなる。才能より練習の質と量。
自分は柔術を始めたのは大学に入ってから。
プロになったのも30歳を過ぎてからの遅咲きです。運動神経も決して良くないし、恵まれた体型でもありません。
だからこそ、誰でも強くなれるということを自分をもって体現したい。
そして、幼少期のプロレス好きから長い年月をかけてずっと培ってきた分析力と、天才ではない故の視点や気づきがたくさんあります。それを活かすことで効率的に強くなるアドバイスができるので、その点では自分はラッキーだと思ってます。
基本的にジム内では仲間意識も、個人主義も大切に。
ストレスフリーがいちばん。
一致団結を好む人もいれば、ひとりで個人のペースを守りたい人もいる。
会員さんも大勢いるから色んな考え方の人がいるけど、誰でも快適に集中して練習できるジムが良いジムだと思っているので、距離感は大切にしているつもりです。
仲間意識ももちろんとても嬉しいですし、ひとりのペースが心地いい人もそのペースを乱してほしくはないです。
なので、練習以外の人間関係は“住み分け”というと大げさですが、誰もが快適な環境を目指してます。
代表GOZOの経歴
1993年 |
幼少の頃からずっとプロレスに興味があったが、4月に初のK-1、9月にはパンクラスが旗揚げ、11月には初のUFC大会が開催されるなど、格闘技雑誌も含め盛り上がりを見せたこの年に、現在のゴーゾーの原点となるものに出会う。 初のUFC大会で優勝した(当時のUFCは無差別級トーナメント制)ホイス・グレイシーは、プロレスラーのように身体が大きいわけではなく、むしろ小さい身体で、しかも無差別級で優勝したということを雑誌で知り、この頃まだグレイシーが日本で無名だったことも手伝って、非常に大きな衝撃を受けた。 これをきっかけに、寝技、関節技、打撃に特化したジャンルの格闘技にのめり込む。 |
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1994年 | 3月に第2回UFC大会がアメリカのコロラド州で開催され、それに伴い行われた観戦ツアーに参加する。 この大会の優勝者も前回同様ホイス・グレイシー。ツアーの一環に入っていた、大会後のグレイシーのセミナーにも参加したことで、グレイシーの凄さを体感し、感銘を受ける。 |
1995年 | 4月に武道館で行われたバーリ・トゥード・ジャパンの観戦に行く。 優勝したのはヒクソン・グレイシー(ホイス・グレイシーの兄で、グレイシー一族最強と言われる)だが、そのヒクソンと決勝で互角に戦える日本人がいるということに感激する。その日本人が現師匠の中井祐樹氏であり、出会いとなる。 10月にさっそく中井氏の凄さを広めるべく、自ら代表を務めていた明治大学プロレス科学研究会のサークル主催で、大学での講演を依頼。初対面をする。 |
1996年 | 3月に、当時埼玉の大宮にあったスーパータイガーセンタージムで、エンセン井上氏に師事し、この時点で初めて本格的に格闘技を習い始める。 この頃はまだ柔術を教えている道場が数えるほどしかなく、自宅から片道2時間をかけて通う。この道場で中井氏も同じエンセン氏のクラスに参加しており、ある意味では同期となる。 |
1997年 | マリオ・ヤマサキの指導の元、ワシントンD.C.で1カ月間の修行を受ける。 |
1998年 | 就職と中井氏のジム(現パラエストラ東京)設立に伴い、ジムを移籍。 中井氏の1番弟子となる。パラエストラの会員番号は2番(1番は名誉会員の夢枕氏) |
1999年 |
カンペオナート・ジャポネーズ 青帯 アダルト ガロ級 優勝 第1回 全日本BJJ 青帯 ガロ級 優勝 第2回 全日本BJJ 紫帯 ガロ級 優勝 |
2001年 | 会社を辞め、パラエストラ八王子を設立 |
2004年 |
レオジーニョとヒカルジーニョの指導の元、1カ月間ブラジルで修行を受ける。 ムンジアル 茶帯ガロ級 準優勝 (決勝の相手は後の黒帯世界王者となるサムエルブラガ) 中井氏より黒帯を授与される |
2005年 |
第4回 東北アマチュア修斗オープン バンタム級 準優勝 第12回 全日本アマチュア修斗選手権 バンタム級 優勝 |
2006年 |
MMAでプロデビュー 主戦場は修斗 MMAプロ選手とジム運営の両立が始まり、後にプロ育成も追加となる |
2017年 |
パラエストラ八王子の支部としてdois国分寺を設立 柔術マスター世界大会 優勝 |
2018年 | パラエストラ八王子・dois国分寺合同で、QUINTETに出場。自らもチームの一員として参加し、試合をする。 |
現在 |
MMAの引退宣言をはっきりとしたわけではないが、ここ数年MMAの試合には出ておらず、柔術家として2017年のマスターに出場はしたものの、現在はまたジム運営とプロ育成に専念している。 国内屈指のプロ排出率を誇り、UFC経験者をはじめ、多数のプロが在籍中。外見が格闘技の雰囲気ゼロなのであまり目立たないが、この業界では有名人。ジム経営、トレーナーの立場から多くのメディアに取り上げられている。 |
テクニック動画・メディアなど
【BRAZIL BLOG 記事】
http://btbrasil.livedoor.biz/archives/cat_50248341.html
【MMAPLANET 記事】
http://mmaplanet.jp/5450
【パラエストラ八王子YouTube】
https://www.youtube.com/channel/UCvZt57V144khRX3q2oVNsMQ